MRの仕事②
MRになって気づいたこと。
それは製薬メーカーによって給料が全然違うってことです。
特に僕のいた会社は他の製薬メーカーに比べて薄々な給料すぎてドン引きです。
実地研修の時に先輩MRから、こう言われてたことがあります。
「うちは給料は製薬メーカーの中でも底辺だけど、やりがいはあるよ。ニッチな領域だから競合も少ないし先生も興味をもってくれやすいんだよねー」
僕は、その時「あ、クソだな。辞めよ!」と思いました笑
MRになってちょうど6ヶ月目の頃でした。
それまでずっと座学で勉強してたのですが、その頃は実際に先輩MRにひょこひょこついて行き現場を知るOJTをやってました。
噂でうちは製薬メーカーより給料が低いことは聞いていましたが、現場の中堅社員から話を聞いたとき、あ、ガチなんだ笑と思いました。
基本給自体はそんな変わらないのですが、
手当でかなりの差が、、、
特に営業手当!
普通の1年目のMRは、月あたり
基本給220,000円
外勤日当約50,000円(外回りしたら1日3000円とか)
営業手当50,000円
会社によっては数万円ほどのMR資格手当
家賃補助8割
くらい貰えるのですが、
僕のいたところは、この営業手当はないわ
年功序列で全然給料上がんないわで他の製薬メーカーに劣る給料でした。
同じ仕事内容なのにです。
先輩MRからは若いうちは一生懸命働いた方がいいぞとか言われましたが、お前よくその薄給で一生懸命になれんなって感じですよね〜
そもそもMRになったのは、
給料が良いからの一点だったので、
初っ端から夢砕けたって感じです。
自分もしっかり確認しなかったのが悪かったんですけど、人事部が年収1000万はいくよ普通にと言われたのをそのまま信じたのがいけなかったんですねー
そこには、(50歳になったら)という言葉が隠れてたんですねー
そんなおじさんになって貰ったって意味ないと思いません?
結婚、マイホーム、子育て等1番お金かかるのは20代後半から30代にかけてだと思うんですけど、
1番お金かかる時期が1番お金ないっていうのもなんだか変な話ですよね〜
だから結婚できなかったり、子供作れなかったりするんじゃないのかなー
そんな年功序列の会社なので、
入社一年目でとっとと辞めよーと思いました
次回からはMR2年目から転職活動について書きます!
MRの仕事
今回は僕が大学卒業してはじめになったMRについて説明します。
MRとは、Medical Representativeの略で医薬情報担当者と言います。
お堅く説明すると医薬品の適正使用を目的として、医療機関に訪問し自社製品の効果や安全性、有効性を伝えたり、逆にそれらの情報を収集する仕事です。
もっと簡単に言えば薬の営業マンです。
自社製品の薬を医療機関に使ってもらうのがMRの仕事です。
医薬品を患者に処方出来るのは医師なので、
医師と面会するのが基本です。
薬のことを医師に説明するからには、
薬学系の大学卒業してないと、MRにならないんじゃ、、、と思われるかもしれませんがそんなことないです!
MRは文系理系関係なく大卒以上であればなれます。
何故なら入社後にしっかりとMRになるために必要な基本的な医学や薬学、医薬品規制などを缶詰で勉強するからです。
僕が入った会社なんかは4月から10月まで、
スーパーと美味しいパン屋しかない田舎の合宿所みたいなところでひたすら朝から晩まで勉強させられました。
1日10時間くらいは余裕で勉強してましたねー
毎日テストあるし、MR認定試験落ちたら初っ端からこれからの社会人人生に傷がつきますからねー
しかもそこの合宿所4人部屋で個室なかったんで、本当ウンコしてる時とスーパーのトイレでウンコしてるときくらいしかプライベートな時間なかったです笑
会社によってはビジネスホテルで個室に泊まりながら優雅に勉強してたみたいなので、
MR志望の方はその辺も事前に確認しておいた方がいいかもしれませんね!
実際にMRになって感じたことは、
自由すぎるというところです!
逆に言えば自由すぎるのでサボりぐせがついてしまっている人は大変かもしれません。
基本的に与えられた担当エリアで、ノルマさえ達成してればなんでもありです!
やることやってればいつ帰ってもサボってもヨシみたいな仕事ですね。
僕は特にやりがいとかこの薬のためにとか社会のために頑張ろうとかそんな気持ちはなかったので、余計そう思いました。
会社にも会議の時や資料補充しに帰るくらいで、あとはほぼ車で移動して担当エリアを回ってました。
僕が務めていた会社のように、
新人なんだから一回帰ってこいとか、会社に帰ってから日報書きなさいとかよくわけわからん理屈を押し付けてくる輩がいたらめんどいですが、たいていの会社は基本直行直帰の営業スタイルです。
愚痴ついでにもう1つ
MRは飲み会が比較的多いと思います。
会社にもよりますが社内の飲み会に加え、
クリニック担当の場合、1人あたり何百件と担当もたされるところもあり、担当エリアの中で5件忘年会を毎年実施し、製薬メーカーのMRを参加させる医療機関があったら忘年会5回あるということになります。
僕の会社はニッチ過ぎてライバル会社も居なかったのでそうゆう飲みは全部断りましたけど笑
MRのことについて少しわかってもらえたでしょうか?
次回も引き続きMRについて書いてきますねー
はじめまして!自己紹介です。
はじめまして!
Jamheiと申します。
僕は特に進学校でもない高校を卒業し、
じいちゃんばあちゃんが住んでいるところにある小さな小さな単科大学を卒業し、東京で社会人になりました。
祖父母が住んでいる大学に進学を決めたのは、
2つの理由があります。
①自分の学力で行ける大学がなかった
②マザコンならぬジジコン&ババコンなので彼らと一緒に住みたかった
こんなしょーもない理由で大学に通いはじめました。
高校の時は常に成績は学年1位で評定平均もオール5だったので物凄く調子に乗ってました。。。
そこの学校で成績1位なだけあって、全国の偏差値的には35切るくらい。
そんなことも気付かずに校内のテスト対策しかしてこなかったので、そりゃあどこの大学も行けません。
そんな中見つけたんです!
唯一行ける大学が!
しかもジジババの住んでるところ!!
僕が一歳の時に両親が離婚し(原因は父親がマザコンアンド浮気)、それからは母親の実家でジジババと3人で暮らしてました。母が仕事の時はジジババが面倒を見てたので、僕にとってジジババは両親みたいなもんです。
まあ、母親も僕が5歳の時に再婚したんで、それからは妹が出来て祖父母を離れて4人で暮らしてました。
それでも両親は今で言うDINKSだったので妹の面倒はばあちゃんが毎日見に来ておりました。
そんな生活ぎ小学4年くらいまで続いたので祖父母愛が半端ない子供になったんですねー。
父親が転勤族だったので小学校は4回くらい変わってるんですが、ジジババへの電話は中3までほぼ毎日してました、、、書いててヒクわまぢで。
大学の時は一緒に住んでいたので電話する必要はなかったですが、社会人になった今でも週に2〜3回は電話してます。
祖父母愛が強すぎて入った大学は、ホント衝撃でした。
英語の授業なんかは中学校レベルからスタートですからね!
統計学の授業なんかも算数からスタートするレベル、、、
さすがの僕でもあ、人生詰んだわこれ。って心から思いました〜
そんな焦りから僕は大学2年の時に1年間アメリカへ留学することにしました!!
留学中の1年間はもうシンドかったです、、、
周りが早稲田大学から来ました!とか、将来はパイロットになりたい!とか言ってる出来過ぎ君と出来過ぎちゃんばかりでリアルな劣等感を味わいました。
出来過ぎ君とか出来過ぎちゃんは両親がお金持ちであることが多く(やっぱ親と子の成長ルートは似るもんですね〜)週末は旅行行ったりしてる中、僕は現地のドン・キホーテでどん兵衛見つけてはしゃぐみたいな、、、
それでもなんだかんだ勉強は頑張ってしてました!
そして帰国間際に記念で受けたTOEICは900点以上取れました!
これがだいぶ就活の時に役立ちましたわー
僕が就活していた2012年の頃は今と比べると900点以上とってる人がそんな居なかったので多少優位に立てて救われました。
それでも偏差値35だし、名前どこそれ?地名ついてるからとりあえず国立?9教科頑張ったねーみたいに言われる始末なので落ちまくりましたけどね笑
また、就職活動はお金も体力も使うので、
最初に内定が決まった製薬企業に入社することにしました。
職種はMR、営業ですね。
長文お読み頂きありがとうございます!
こんな感じで書いてきまーす!
方向性が全然定まりませんが、僕なりに経験したことを書いた記事がどなたかの参考になればと思います!
次回はMRの仕事紹介します!